心象風景

なんですか、これ

安達としまむら -特典小説④『Abiding Diverge Alien』 感想-

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人の心が無い

あまりにも辛く、哀しい展開が描かれた際に、そのような感想が飛び交う光景をよく目にします。
発言者的には「鬼!悪魔!」程度のニュアンスで深い意図は無いと思うのですが、これに関して私としては語弊があると思っていて。
読者を楽しませ、昂らせ、癒し、驚かせ、焦らせ、惑わせる文章が書けるからこそ、他人の心を崖から突き落せる話を作る事ができるのではないでしょうか。鎬紅葉も人体の治し方を熟知しているからこそ人体破壊のエキスパートだったわけですし。
つまり、人の心を知らなければ書けないというわけでもあり、それは人の心を持ち得なければできない事なのだと思います。
人の心があるからこそ、人間だからこそ人の心が無いと言われる話が書けるわけです。
読者を嘆かせ、絶望させ、かき乱しているあたりは鬼や悪魔に違い無いかもしれないですけどね。
まぁ何が言いたいのかと言うと


入間人間先生には人の心があるなぁ!


という事です。名前に人間って付いてるし。

 

 

安達としまむら Blu-ray 4(特典なし)

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  • 発売日: 2021/03/03
  • メディア: Blu-ray
 

はい。アニメ安達としまむら4巻特典小説『Abiding Diverge Alien読みました。
情緒が見事に破壊されました。
前回の『ムラ』は至るべき場所へ至った事を見届けたために放心しましたが、今回はまた別の方向で放心しました。
大切なものを失い心に穴が空いたような、ノスタルジーの奔流に飲み込まれるような、そんな感覚だったと思います。
いや素晴らしかったです。素晴らしかったのは確かですが、個人的に咀嚼するのにとても疲弊しましたね。
その理由も含め、感想等をまとめておきたいと思います。

 

以前の安達としまむら記事はこちら。

kokoroch.hatenablog.com

kokoroch.hatenablog.com

kokoroch.hatenablog.com

 

公式の試し読み。

 

感想

チト前日譚(前編)

チトがあても無く生きていた理由です。
育ててもらった人が死に際に「生きろよ」と肩を強く押してくれました。
そのおかげで、チトヤシロと出会い、シマと出会い、宇宙は安定を取り戻しました。
この後の話を考えると、なんとも壮大かつロマンチックな話ですね。

晩年のしまむら(一日目)

脳内安達(女子高生)と会話をするしまむら。どうやら安達はもう既にいないらしい。安達どころか、私達の知るしまむらの家族知人友人はほとんどこの世にいません。妹さえも。
いやなんとなく覚悟はしていました。このシリーズでは今までしまむら死生観に触れてきていましたし、「今はまだ遠い未来の安達としまむらという内容でしたし。それでも、しまむらだけが残された世界というものを唐突に突き付けられると、心に大きな風穴が空いた気分になってしまいます。いや本当に6ページくらいで一旦読むの止めました。辛くて。
ただ一人、ヤシロだけが変わらない姿でほぼ毎日遊びに来てくれるようです。今はただ、ヤシロの存在が安心感の塊でもあり、どこか羨ましく思えるところもありますね。
ヤシロと見慣れたやり取りを交わしながら脳内で安達(女子高生)との会話も挟む老しまむら。年寄りなのに随分器用だな。
なんかヤシロが持ってきた妹のゲーム機を譲り受ける。何故ヤシロが妹の遺品を持っていたのかは謎ですが、恐らくこれも色々あったんでしょうね。描かれる事は無さそうですが、でも「しょーさんからは他にたくさんのものを頂きましたので」という言葉は二人の物語を感じられていいですね。
就寝前に脳内安達に報告をするしまむら。何というか、安達が生きていた頃は毎日布団で話をしながら眠りに落ちていた様子が伝わってきます。それ程までに、しまむらの日常には安達が刻まれているのでしょう。

晩年のしまむら(二日目)

翌日、ゲーム機を繋げるためのテレビを買いに行くしまむらとヤシロ。結局アダプターを買うだけで済んだらしい。途中、宇宙へ行くかどうかの話になったので宇宙編が始まるのかと身構えてしまった。
いざプレイし始めたゲーム、これはどう見てもドラクエ3ですね。勇者しまむら、僧侶安達、商人永藤、遊び人日野の4人パーティー、ついでに魔法使い妹、盗賊ヤシロも作って開始。いや他は分かるとしても魔法使いってしまむら妹は何を成したんだ。
「死ぬまでにクリアしたい」と言うしまむらに「急いだ方がいいかもしれませんね」と返すヤシロ。いきなり不穏な雰囲気を出すな。
その日の夜、眠れないしまむらはゲームを再開します。隣に安達(JK)を呼んで一緒に。
自分に死期が迫っているかもしれない事を安達に報告するしまむら。段々と安達の声が近づいてくる。脳内ではなく、直接耳に響いてきます。なんか描写が異様に生々しいんだけど入間人間先生死んだことあるの?
ちなみにここの書き方、というか鍵括弧を使った表現の仕方が本当に素晴らしかったです。文章のセンスが極まってる。
安達が先に逝ってくれてよかった事、安達が死んで泣いた事、犬の時の方が涙が出たかもしれない事を話し、そして、「最期までいてくれてありがとう」と安達は伝えました。しまむら「死んでからも側にいてくれてありがとう」と返します。うん、完全に今際のイベントでしかない。もうこっちはしまむらを見送るモードに入っている。
「もうすぐかなぁ」「さっきから安達の声が近くに感じる」と呟くしまむら。呼応するように消える安達、顔を上げるしまむら
どうやらしまむらは死の際から蘇ったようです。何しろ、いつでも側にいる愛する人が僧侶だったので。納得しかない。
しまむらが得たのは、死に傾けばいつでも安達と会えるという事。何もない日々を過ごしていたしまむらでしたが、この日は満足感を得られたようです。まぁ何より生きる気力が湧いたのなら良かった。

晩年のしまむら(三日目)

遊びに来たヤシロ、徹夜でゲームをしていたらしいしまむら。せっかく蘇生したのに無理をするな。
ヤシロがゲーム機を持ってきた理由、それはしまむらの誕生日だったかららしいです。『死間』の話と繋がったぞ。
そしてしまむらはドーナツと交換で宇宙の秘密を……ではなく、また安達に会えるかをヤシロに訊きます。会える、別のしまむらも安達と出会うとヤシロは答え、しまむらは自分じゃないのかとぼやきます。それに対してヤシロは、死んだ人には会えない、でも死んでない人には会えると返しました。テレビの受け売りも入っているのでどこまで本気かは分かりませんが、死んでない人には会えるという部分は重要な気がします。考察へ投げときますね。
ここでようやく、この特典小説シリーズにおける最重要キーワード「約束」が交わされます。どうやら、「どこかに出会えない安達としまむらがいたら見に行ってほしい」という約束だったようです。以前書いた考察通りではあったけど、改めて考えると宇宙の存亡に関わる約束という壮大な話で戦慄しますね。
何はともあれ、しまむらはまだしばらく悪くない老後を過ごしていけそうです。安達もヤシロもいる事ですしね。

チト前日譚(後編)

生きるために生きていたチトだったが、何の成果も無い惰性の日々は徐々に気力を奪い去っていく。そんな時に空から降って来た白い粒、発光する水色の少女。そう、チトとヤシロの出会いの瞬間です。「こんにちはーっ」と、どこかの誰かにかけていた挨拶を発しながら降りてきました。
しまむらとヤシロの約束は巡り巡ってチトの元へヤシロを遣わせ、ここからチトとヤシロは旅をして、シマと出会い、再び安達としまむらが構成されるのです。
全てが繋がりました。
安達としまむら」から始まり、その概念は次の安達としまむらへと受け継がれ、そして「安達としまむら」を構成していく。それら全てには始まりと終わりがあり、「再び」もある。そんな二人だけの、もとい多くの「安達としまむら」の話。それがこのシリーズの物語る世界なのだと思います。

考察とまとめ

神話じゃん!!!!!!!


そう、私達は神話の目撃者。始まりと終わり、そして再びの始まりを観測した者。
今回をもって謎は無事に解明されました。考察の余地ありますか?多少はありそうなので上で書ききれなかった感想も交えて頑張ります。


まずは年老いたしまむらまぁ見事にみんな死んでましたね。よく眠るしまむらだけが長生きしたみたいです。
そこに現れるイマジナリー安達。姿は女子高生。これは読者がイメージしやすいようにというのもあると思いますし、しまむらにとって一番記憶に沁みついている姿が女子高生の頃ということでもあるのでしょう。それにしても、安達の幻を見て会話している様がなんというか、危うい雰囲気がして初見は怖かったです。
ただ読み進めていくと、最低限の生活は送れているようですし、特段無気力になったわけではなさそうです。安達を失った当時はどうだったのか分かりませんが。あまり想像したくはないですね、悲しくなるので。
年齢はヤシロとの出会いから七十年近くらしいので、85、6歳あたりでしょう。誕生日も考慮するとプラス1歳といったところでしょうか。
ヤシロと宇宙へ行くかという話になったところで、安達はしまむらがいるならどこへでもついていくと答える。これ、脳内安達なので当然しまむらのいるところにはどこでも安達が現れるわけですが、それとは別にチトシマの話にも繋がる事なのだと思います。地球外の星で別の安達としまむらが出会っている事を、私達は知っているのですから。
ところで、しまむらは時の人になったらしいですね。9巻でヤシロが意味深な事言っていましたし、魔法使いですし、何か凄いことをしたのでしょうね。そのあたり、描いてくれると助かるんですけど。
あと何気にゲームプレイの合間で安達のブーメランと空き缶の行方が判明しましたね。引っ越しの際に持ってきたらしいです。笑う。しまむらも空き缶の事は覚えていないらしいですが、脳内安達が拗ねているあたりしまむらの脳はしっかり覚えているはずです。記憶にあるものと意識に浮かんでくるものは別だと何かで読みました。まぁしまむらの意識が覚えていたとしてもこの時点のしまむらなら安達らしいなぁで受け入れていたと思いますけどね。
再びイマジナリー安達に関して。この安達はしまむらが安達との経験を基にして構成した幻の安達です。安達は五年前に亡くなったらしいので、六十五年ほど連れ添ったわけですね。そのしまむらが作り出した安達なわけですから、それはもう再現率は限りなく本物に近いのでしょう。
つまり、イマジナリー安達の発言は、本物の安達の発言と捉えて問題無いのだと思われます。ただ、このイマジナリー安達が本当にイマジナリーなのかも疑わしく、死に近づいたしまむらの前に実感のある存在として現れています。本当に幽霊としてしまむらの脳内に住み着いているのか、死に際の感覚すらもしまむらの妄想なのか、どうなのでしょうね。しまむらとしては、幽霊はいて、死に傾けばいつでも会えるのかもしれないと結論付けていますが。
どちらにしろ、安達がしまむらに伝えた感謝の気持ちは本物なのでしょう。勿論、しまむらが安達に伝えたものも。
安達は死の近くで待っているし、現世に留めてくれるよすがでもある。死後強まる念みたいな奴だな。
あと安達が死んだ当時についても触れられてましたね。しまむらはあまり泣かなかったらしいです。正確に言うと、泣けるほど元気がなかったという事らしいですが、これはそのままの意味でそれ程までに消耗しきっていたということでしょうね。あのしまむらがそこまで悲しんでいたという事実を思うと、安達が嬉しくなる気持ちも分からなくはない。なにしろ自分の死を悲しんでくれているのですから。
それと少し触れられていた犬の話。ゴンのことでしょうね。イマジナリー安達が知っているという事はいつか安達に話したのでしょう。個人的に安達にはゴンの事を知っておいてほしかったので良かったです。
そして問題の「死んでない人には会える」について。難しいですね。
別の安達としまむらの話なのか、幻でも安達と会えるなら安達は死んでいないという話なのか、はたまた単純にそのままの意味なのか。
私の解釈としては、しまむらがこの世にいて安達を忘れない限り安達はこの世界に生きている、という意味で飲み込みました。実際にしまむらは安達と会えていますし、しまむらが安達を忘れる事は無いでしょう。つまり、しまむらがこの世からいなくなる時こそが安達の死であるという話です。某ひとつなぎの大秘宝でも「人はいつ死ぬと思う?」「人に忘れられた時さ」とありますし、もうそういう事にしておいてください。
最後にしまむらとヤシロの約束の内容が明かされました。「安達に会えない自分がいたら様子を見に行ってほしい」というものでしたね。実際は出会うまでの手助けまでする事になりますが。というわけで、チトはしまむらでシマは安達という事になるのでしょうか。そんな単純な話ではないかもしれませんが、難しい考察は以前に行ったので今はもう単純に考えておきます。
「約束」が無ければチトは野垂れ死んでいたかもしれないですし、どれだけ遅くなってもシマと出会っていたかもしれません。それでも、「すべての」始まりは「再びの」始まりへと繋がりました。しまむらの交わした「約束」がこの宇宙の安定をもたらしたのですから、島村抱月は紛れもなく勇者なのだと思います。

 

めちゃくちゃ長くなったな。誰だよ考察の余地無いとか言ってた奴は。
私は死別を扱った展開が苦手です。常に死と隣り合わせのバトル作品なら平気ですが、平和な作品で死別を描かれると心臓が締め付けられます。百合作品どころか、ラブコメ全般を見ても老後の死別まで描いた作品なんてほとんど無いでしょう。私は今回が初めてです。なので、今回の話は読んでいて本当に辛いものがありました。
しかし実情を見ると、安達は苦しまずに死ねたし、最期までしまむらと一緒にいられました。大好きな人と添い遂げられたわけです。
しまむらは安達に先立たれながらもイマジナリー安達と共に生きていますし、死に近づくことで安達と出会える、そんな明るい老後を見出しました。
そして何も変わらず元気なヤシロがいます。ヤシロがいたから、しまむらは生きられているのかもしれません。ありがとうヤシロ。
そんな七十年後でした。どう見てもハッピーエンドですね。みんな幸せなのですから。なのに何故こんなにも寂しい気持ちになるのでしょうか。考えると辛いので、ハッピーエンドのまま思考を途切れさせておきます。
とりあえず逆じゃなくて良かった。しまむらが先立っていたら安達は生きていられなかったと思います。いや老後の安達なら案外強く生きたりするかもしれない。どちらにしろ、それを知る由もありませんけどね。
何はともあれ、安達としまむらの幸せな未来は、二人が添い遂げる未来は確約されました。
その中でも特別強い印象を残した描写が、しまむら「また安達に会えるかな」とヤシロに尋ねる場面です。安達と関わることで人生が狭くなるだの可能性が固定されるだの人間関係が破綻するだの言っていたしまむらが、安達と二人きりなら一人きりでいいと考えていたしまむらが、いざ一人きりになった世界で望むのは安達との再会だったわけです。長い時を経て育んだ愛が伝わってきます。きっと良い時間を共有してきたのでしょう。
「別のしまむらが安達と出会う」と答えるヤシロにしまむらは落胆しましたが、私達は知っています。安達としまむらが築いた想いは、別の安達としまむらの中にも確かに存在する事を、チトとシマを通して知っているのです。なので、いつか本当に安達としまむらが再会する日もあるかもしれませんね。

あ、忘れてた。タイトルについて。『Abiding Diverge Alien、意味は「永遠の、分岐する、宇宙人」といった形になります。「Diverge」は通常自動詞として使うため、目的語の前に前置詞を置いて使います。なのでこの場合は直訳よりもニュアンスとして訳すのが妥当でしょう。最初は「宇宙人との永遠の別れ」かと思いましたが、そんな内容ではなかったですね。分岐をメインに考えた方が良さそうです。まぁ「安達としまむら」の始まり、ヤシロとの約束、「安達としまむら」の再開を考えると、ヤシロとの出会いにより先の「安達としまむら」全てが影響を受けるような世界に分岐した、というようなニュアンスなのかなと。もしくは分岐が並行世界を意味していて、どの世界でもヤシロが二人を助けてくれる的な?読み取れるかそんなの。
あともう一つ、チトとシマに関して前回の記事で最終回か?みたいな事を言いましたが、本当に前回が最終回でしたね。冗談のつもりだったので正直少し驚きました。それだけです。

 

最初にも少し触れましたが、ここまで繊細に死別と晩年を描け、人の心を揺さぶる話が書けるというのは人の心があるからこそなのでしょう。読む方としては辛いものがありますが、それは実に素晴らしいことです。
1巻発売時から追いかけてきた作品の終着点を見届ける事ができて光栄に思います。ただし、本編はまだまだ続くようです。樽見との決着(もはや消化試合)とプラスαで10巻か11巻で完結かと思っていましたが、作者的にはどうやら12巻以上は続けたい意気込みがあるようです。有難い話ですね。最低でも高校卒業まで描かれたら嬉しい。
それにヤシロとしまむら妹の話も見たいですね。2033年の件もありますし。
あと書く機会が無いのでここに書いておきますが、入間の間で公開された短編しまむら母に安達との関係がほぼバレてて笑いました。
次の感想記事は10巻発売後になりそうです。
それまでは細々と二次創作でもして過ごしていると思うので、よろしければpixivであだしま小説でも読んでみてください。私にしては珍しく固定アカウントで創作活動をしています。

 

 

 

 

 


今後ドラクエ3をどんな気持ちでプレイすればいいんだ